今家で使っているかつおぶし削り器(機?)です。
大学に入って一人暮らしを始めるときに実家で使っていたのをもらって使ってます。実家で長年使われてきたものだから30年くらいの年季が入ったものだと思います。今でももちろん現役バリバリ。美味しいので味噌汁の出汁や豆腐にかけてよく食べます。
実家では子供のころから菜っ葉のおひたしや冷ややっこや納豆などが食卓に上るとその場で削ってかけて普通に食べてました。特別食通ぶっていたわけでもなく、普通に朝晩の食卓で使っていた記憶があります。いつも削るのは子供の役割で、おひたしがゆであがるのを見計らって母が子供にやらせるって感じでした。カンナが付いた刃物なのでけがをしないようにコツを教えてもらいながら次第に慣れていったのかなと思いますが小さい頃はよく指を一緒に削っちゃったこともありました(イタタ!)。鰹節の思い出はいろいろあります。小さくなってもう削れなくなった鰹節をどうするかは家族みんなが永遠の課題のように思ってました。ものすごく堅いけどそのまま食べたり、味噌汁にいれてやわらかくしてみたり、結局犬にあげたりなどその時の家族の情景とともに思い出となっています。また、切れ味が悪いなーって時に父がカンナのお尻を金づちでコンコンをたたいて調整するのを見てなんだか大人だなーって思った思い出もあります。味としては何と言っても「猫まんま」が一番うまいものでした。削りたての鰹節をご飯にかけて醤油をたらすっていうシンプルなものですが、鰹節の旨みとホカホカご飯の香りが完璧に調和している!って感じがします。
先日大学時代の友人から、当時僕の家に来て鰹節を削ってるのでびっくりしたと言われて、そういえば当時だれも鰹節を削っている友達なんていなかったなーと思いました。今でも削った鰹節がある家に出会うことはほとんどないです。ちょっと前まで日本の食卓のデフォルトだった道具がいつの間にか絶滅危惧種になってるようです。子供のころから使っている僕としては不思議な感じもするのです。あんなに美味しいくて、それほど面倒くさいことでもないのにどうして誰も使ってないんだろう?ちょっとしたことするだけで料理が2倍おいしくなるのになーなんて思ってしまいます。鰹節があれば、「ほんだし」や「だし醤油」なんかなくても料亭のような味(いいすぎ)を出すのも簡単です。ソースをつくるわけでない和食は本当に簡単。鰹節を使わないのはイタリア料理でパルミジャーノを「クラフト」のパルメザンチーズにするようなものかもしれません。
設計をやっていると、最近のキッチンがやたら高性能になってきているのを感じます。便利で安全で時間がかからず小回りが利いて収納が大きいことが売れる理由だと思いますが、本当に必要なのかなという機能まで付いています。僕は料理は生活の基本なので、キッチンが一家の中心になればいいと思ってますが、機能的には基本的なものがしっかりあることだけでいいと思ってます。ちょっと時間や手間がかかっても美味しい料理が作れることが一番の家族の結束になるし、幸せにつながるんじゃないかなと思ってます。料理や片付けの時間を縮めて家族の団欒の時間を増やすよりも、一緒に料理して一緒に片付けできればその方がいいんじゃないかなと思います。家事は字のごとく家での物事なので、家事をなくす方向よりも家事を楽しむ方向にシフトできる家づくりを目指したいと思ってます。
「かつおぶし削りのある家」みたいなコンセプトの住宅をつくっていきたいなんて夢想しています。