折り畳み傘の付け根の部分が折れてしまいました。5年ほど前に吉祥寺駅で買ったもので生地の色とか使い続けた時間とかに不思議な愛着のあるので修理してもらおうと思いました。以前にも一度折れてしまったときには無料で修理してくれました。しかし、買ったお店は駅ビルのリニューアルでもう閉店してしまってありません。修理屋できる店を探そうとインターネット、渋谷の町を回りましたが、靴や鞄の修理はできても傘の修理はできないところがほとんどでした。なかには「去年までいた職人のおじいさんがやめちゃったからね・・・」と悲しい話がありました。この広い東京にないってどういうこと!?
傘は4000円で買ったもので、折れた骨の材料がプラスチックでできていました。店によっては金属なら修理できるといわれたので職人がいない訳ではないのだとはおもいますが、なにか、社会全体がいつのまにか持続不可能なシステムにすり替わっているようなぞっとするような感じがします。電化製品でもいまや直して使うより新しく買った方が安いというのは定番ですが、どこか違和感を感じます。4000円は確かにビニール傘よりたかいですが、絶対に元はとっている自信があるし愛着があるので同じくらいの金額がかかっても直そうと思っていたのに。。。
家も道具の延長としてかんがえると同じことが起こっているようにも見えます。使い捨て文化の裏には買わされ続ける力が存在します。使い続けるのと買い続けなければいけないのは全然違うとおもいます。我々はもっと根元のところを見つめ直さないといけないのではないか。と思います。