市民放射能測定所の内装設計。
お盆にお話があり、8月末に完成って。。どんだけ早いんだか。っとおもいましたが、なんとかなるもんです。
設計は間仕切り兼、情報落書き板の壁、受付カウンター、陳列棚を作っただけですが、市民のための場所として、だれでも集まりやすいような空間になればいいなとおもって作りました。こどもたちの落書きや、くだらない戯言、ゲルニカみたいな怒りの絵画がこの黒板に映っていったらおもしろいと思いました。
格子の棚は市民放射能測定所のロゴをつかったデザイン。ビルの規則でどうしても物販としての形態をとらないといけないらしく、陳列棚が必要でした。
とにかく、休み中にも関わらず打ち合わせをしてくださった測定所の皆様やビルの管理者の皆様、被災地の職人不足にも関わらず無理な注文に応じてくださり、利益もなく工事してくれた㈱りのいえ の佐藤さん(工務店)のお力の賜物です!!
福島の状況は暗い雲で覆われたようにすっきりしない。放射能の数値は依然高いままですが、町を見ると平然と遊ぶ子供や、ろくに検査もしないで普通に並ぶ地元産の野菜や果物がいたるところにあります。何がいいのか、大丈夫なのかダメなのか。確かに誰も答えを言ってくれない。皆、よくわからないまま生活は続けなければならないといいながら、だんだんと何も考えなくなっていっている状況が続いています。誰かの答えを待つまでもなく、危険はいたるところにあるのに、考えることまでやめたらどうなるのか。間違っていることを間違っているとされない社会のなかで無垢な子供たちはどうやって判断力を養えばいいのだろう。逃げろとは言えないし言うつもりもないがせめて「考える」ことをやめないでほしい。声をあげろと言えないし言うつもりもないが「話しあい」をやめないでほしい。そのためには自分たちのまわりがどうなっているのかを「知る」必要があるのではないか。
市民がたちあがって作った「市民放射能測定所」の意義はそこにあるのだと思います。住民自らが「考え」「話し合い」「知る」ことができる最低限の道具を持つことです。お金もない市民がボランティアで作り上げる前にどうして、国や行政ができないのか?などいろいろと言いたいことはあっても、一日でも一秒でも自分で測定し行動するしかないのだなと思います。